質問と答え
【質問2】
教祖から“祝福”を受けたことで、「統一教会から脱会したい」という思いがありながら、「死後、夫婦そろって天国に行ける」という希望を断ち切れず、迷っています。
(統一教会会員)
【答え2】
私も教祖から受けた“祝福”を、入信当時は最高の誇りとして生きてきました。それが、私たち夫婦が長らく教団に留まっていた一番の理由でした。どんなに貧乏で多くの困難があっても、死後、霊界で天国に入れると思えば、乗り越えることができました。統一教会では、「天国は一人では入れない、夫婦二人でなければ入れない」と教えています。“祝福”という結婚儀式が天国へのチケットであり、自分たちはそれを手にしたのだから、地上での苦労は厭わない、と思ってきました。
ところがスピリチュアリズムと出会い、「霊界の男女愛」の事実を知るようになり、自分たちが想像していたものとは全く違っていたことに驚きました。あまりにも異なっていたため、初めは受け入れがたいショックを感じました。教団の教義では、霊界があるというだけで、その詳細はほとんど知らされていませんでした。高級霊によって伝えられたスピリチュアリズムの霊的真理(霊的事実)のほうが、はるかに説得力がありました。
スピリチュアリズムによって明らかにされた「霊界の男女愛」について、私が衝撃を受けた普及会の書籍の中から紹介します。
「地上世界では陽陰・男女という区別が大原則となっていますが、霊界にはこの地上世界を貫く大原則(陰陽二分)は存在しません。霊界では、進化とともに地上における男と女の性差が薄れていくようになります。(中略)死後、最初に行くことになる幽界では、人によってはしばらくの間、地上時代と同じ夫婦関係や家族関係を再体験するようになります。しかし幽界での生活を経て霊界に入ると、各自の霊的成長レベルに見合った別々の界層に行くようになり、それにともない夫婦も家族もバラバラになってしまいます。たとえ地上時代に、“おしどり夫婦”と呼ばれていたような仲のよい男女であっても、霊的成長レベルが違えば、あの世ではいつまでも一緒にいることはできません。」
(『続スピリチュアリズム入門』より)
これを読んだとき、私は大きな衝撃を受けました。これが事実であるとするなら、今まで信じてきた、“夫婦が天国で一緒に住める祝福家庭”という理想が、何の根拠もない空想でしかなかったことになってしまうからです。スピリチュアリズムの真理を読み進めるうちに、私たち夫婦は、「教祖から与えられた天国への手形を、後生大事にしていても意味がない」と考えるようになりました。私たち夫婦にとって、“祝福家庭”という理想を否定することができるかどうかが、教団を出るかどうかを決める最後の砦でした。今まで温めてきた人生の誇りを捨てたくない、という思いから、教団を離れることに迷いを感じていたのです。
しかし、いつまでも間違った教えにすがっていては先に進むことができません。確かに、私たち二人の出会いは教祖によるものでしたが、それ以上にもっと大きな宇宙的な神の計らいによって巡り合った夫婦なのだと悟りました。二人がここまで一緒にやってこられたのは、“祝福”によって定められていたからではなく、二人がお互い利他的に生きようとした結果だったのだと考えるようになりました。そして、スピリチュアリズムの真理にそった道を歩もうと決意しました。長い年月をムダにしてきたという空虚感が残りましたが、シルバーバーチの次の言葉に励まされました。
「真理探求に没頭した年月――追及してはつまずき、倒れては起き上がり、間違いを犯しながら遂にそれまでの信仰が真実とは似て非なるものであることを思い知らされることになった――そうした体験がその人の魂の発達の掛けがえのない要素となっているのです。」
(『シルバーバーチの霊訓』三巻)
以下から別の質問と答えをご覧になれます。
【質問3】
統一教会で、“先祖解怨(かいおん)”のために何度も韓国に通いましたが、それによって本当に先祖が救われ、自分も霊界で報われるようになるのでしょうか?